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最新記事【2007年12月13日】

雲霧仁左衛門は、盗賊団のアジトとして各地に盗人宿をおき、
信頼できる手下を店の主人として置いています。
たとえば王子のとしま屋、浅草橋の佐原屋、千住の信濃屋などがあります。

一味の面々はここで休んだり、食事を取ったりするのはもちろんのこと、
情報を伝えたり受け取ったり、お金や物資の受け渡しなども行われます。
そして一味の者が集まって、打ち合わせ、出撃、ということもあるようです。
盗人宿に似たものに「つなぎ」というのがありますが、
これにも商店や宿が利用されます。
ただし利用目的は情報の受け渡しに限られますね。

盗人宿は水滸伝の梁山泊みたいに固定的なアジトではなく、
危なくなればすぐに他人に売り払われてしまうものです。
それで盗人宿は転々と変わってしまうのでありまして、
盗賊改方から見ればなかなか雲霧一味を捕捉できないということになります。
ただ、危険がなければ何年でも同じ場所にあって近隣との関係を強め、
一帯の情報を集めやすくまた怪しまれにくくすることもできます。

さて、盗賊団が秘密のアジトを持つのは当たり前ですけど、
幕府のほうも似たようなものを持っているのですね。
隠密宿と呼ばれます。

 隠密宿の主人は、ときによって二代三代にわたり、
 その土地の、その町の住人になりきって生活をしている。

関口雄介はこれを聞いた時、高瀬俵太郎から聞かされた盗人宿の話を思い出し、
幕府も盗賊も同じようなことをしていると思い至って苦笑します。
隠密宿のほうもその働きぶりは徹底していまして、
関口や鈴木又七郎に踏み込まれて隠密宿だということがばれたと知るや、
隠密井上助右衛門の妻は家に火を放ち、自分もろとも灰燼に帰してしまいます。
権力が関わっている分、盗人宿よりも悲惨な最期になってしまったようです。

池波正太郎さんの小説「雲霧仁左衛門」の舞台は、
徳川吉宗が将軍だったころの江戸や尾張となっています。
吉宗というと時代劇「暴れん坊将軍」ですけど、
雲霧仁左衛門には一切顔を出してくれません。
それから吉宗の時代といえば、大岡越前守忠相ですけど、彼も一切出てきませんねぇ。

とりあえず徳川吉宗のデータをば。
1684年生まれ。将軍在位は1716年~1745年。
1751年死去。
享保の改革が有名ですが、そこで吉宗は質素倹約を命じ、武芸を奨励しています。
この辺り、盗賊改方の面々の態度に反映されていますね。
忠実な家臣です。

吉宗は8代将軍の地位を、尾張徳川継友と争って勝ち取ったわけですが、
このことが物語に少しだけ出てきます。
江戸幕府が尾張に送った隠密と関口雄介が闘う話ですね。
そのせいで、雲霧が狙っていた松屋周辺が火事になり、
火付盗賊改メの任務に支障が出てしまうのですけど。

さて、吉宗が8代将軍の座を勝ち取った理由として、
小説には面白い解釈が紹介されています。
吉宗は身の丈六尺の威丈夫で、武術の腕も相当なものであったと。
そこで誰が吉宗を次の将軍に推したかというと大奥の女性たちであるというのです。
それはもう、同じ将軍なら背が高くて男前のほうが
いいということなんでしょうけど・・・
ちょっと悲しい。

火付盗賊改方は、雲霧一味との決戦の折に、次のような装備で臨んでいます。

 長十手、鎖棒、捕縄、御用提灯、がん灯、梯子、突棒、刺股、高張提灯

このうち、御用提灯・高張提灯・がん灯は照明器具ですね。
御用提灯は時代劇でよく見る「御用」と書いてある提灯で、
高張提灯はそれを高く掲げるもの、
がん灯は蝋燭を使ったサーチライトのようなものです。

長十手というのは十手なんですけど、普通の長さ30センチくらいの十手の
倍以上のあったようです。
これで思い切り殴ると兜が割れるほどの威力があったらしい。
十手というより金棒ですね。まさに鬼平に金棒。

鎖棒。棒の先端に鎖が付いていて鎖の先に分銅が付いているという武器のようですね。
西洋で言うところのモーニングスターやフレイルにあたるものでしょう。
こういう武器は動きが予測しづらいので、防御側にとっては嫌な武器です。

捕縄と梯子は、説明は要りませんね。
・・・と思ったのですが、梯子って、高いところに上るだけじゃなく、
犯罪者を押さえつけるのにも使えたのですねぇ。

突棒(つくぼう)・刺股(さすまた)。
この2つに袖搦(そでがらみ)をあわせて三道具(みつどうぐ)と言いました。
犯罪者を制圧するための道具です。
突棒は棒の先端が丁字型になっていて、更にとげが付いています。
これで相手の足を引っ掛けて転ばせたり、押さえつけたりします。
刺股も用途は似たようなものですが、棒の先がU字型になっています。
この部分で相手の首などを押さえつけるわけですね。

以上のように、火付盗賊改方の装備は、
相手を殺傷しないように工夫されたものとなっていますが、
いざとなれば斬ることも厭わなかったようです。
例えば盗賊団の数が多すぎて取り押さえきれない時などですね。

浅草・下町 雲霧仁左衛門と行く

大盗賊雲霧仁左衛門を追って現代の江戸の町を駆け回ってみました